Pages

2010年5月20日木曜日

MAP ~Review~

MAPが終わって少し時間が経ったところで、本プロジェクトを通じて学んだこと、改めて考えたことについて改めて振り返って気づいたことを何点か記しておきたい(忘れっぽいので。。)。

1. グローバル化の中での経営資源の有効活用の難しさ

経営のグローバル化を推し進める中で、また新規戦略分野に進出する中で、必要となる人・技術などの経営資源を技術者の引き抜きや他社の買収等で「要素」として獲得することは、資金さえあればそれほど難しいことではない。しかしながら、要素としてそれらを一応獲得することと、それらを実際に戦力として事業運営のレベルアップに有効活用できるかということはまた別の問題である。

新しいノウハウをどのようにトランスファーするのか、また既存事業とのシナジーをどのように具現化していくのかということに関して何らかの具体的な方策がないと、せっかくの経営資源も眠ったままになってしまうことを実例として学んだ。特に日本と違う点は、欧米系の会社では、専門技術やノウハウは会社ではなく個々の人に紐付いているという認識が一般的であり、業務における個人の責任範囲も比較的明確に線引きされているため、個人の専門知識や経験、コネクションはその個人の業務範囲内でしか生かされないという特長がある。これらを有効に横展開して全社のレベルアップに繋げる為にはインセンティブを含めた何らかの仕掛けが必要であろう。

2. 新マーケットからの要請がビジネスモデル見直しの要因となりうる

A社のこれまでのビジネスモデルは、大雑把に言えば、まず高性能・多機能な動力測定装置等のハードウェアやシミュレーションソフトウェアを開発・販売し、次にそれらをどのように使いこなして新車開発を効率的に行うかというコンサルティングサービスを提供する、というものであった。そしてこれらの組み合わせが、長い目で見れば新車開発期間の短縮やコスト削減といった効果を顧客企業にもたらしたからこそ、多少高くてもハードやソフトが売れたのである。

しかし、それだけでは対応できない事例も生まれてきてきている。例えばインドの自動車メーカーからは、案件毎に競争入札で最も安価なものを採用する方式や、コンサルティングだけをA社に依頼して、ハード・ソフトは他社の安価なものを流用するという方式が提案されているという。先述のGMが他社製の安価でシンプルなモーター動力測定装置を採用した例も含めて、ここから示唆されるのは、A社にとっては、これまでのパッケージ型のビジネスモデルが長い目で見て顧客の利益にもなることを顧客に納得させるか、さもなければ新たなニーズに対応できるように商品・サービス体系を柔軟に見直すことが求められているということである。例えば、機能を絞った安価なハードを商品メニューに加えるとか、ハードやソフトは自社製品にこだわらずオープン化した汎用レベルのものを組み合わせて提案し、そのかわりコンサルティングサービスで稼げるように料金体系を変更する、という考え方がありうる。

3. チーム運営について

今回プロジェクトにあたっては、私を含む4人のチームで臨んだ。試行錯誤で取り組んだ中、チームワークには成功も失敗もあり、その中からいくつかの教訓を学んだり、再確認することができた。

(先読みとスケジュール管理)
プロジェクトの期間は約二ヶ月であり、キックオフや最終プレゼンテーションの準備などを考えると、調査やインタビューに割ける時間は思った以上に短いため、二ヶ月間のスケジュール表と工程表を作成し、それを毎週リバイズしながら作業を進めていくこととした。スケジュール表には、主要なイベントと、それまでに何を準備しなければいけないかを書き込んだ。これをチーム全員で共有したことは他のメンバーにも好評であり、インタビューの前には質問表を完成させ先方に送付する、等基本的な準備を徹底できたことに加え、なにか抜けていることはないか、今のうちにしておくことは無いか等をお互いにチェックし合うことが出来たと考える。

(個々のチームメンバーのバランスをとり、長所を生かす)
本プロジェクトのチームメンバーは、エコノミスト出身のアメリカ人(以下A)、コンサルティングファーム出身のドイツ系アメリカ人(以下B)、自動車部品メーカー出身の中国人(以下C)、そして私の4人であった。それぞれバックグラウンドが全く異なるため、プロジェクトの異なる場面でそれぞれの長所を活かそうということはチーム内での共通理解でもあったし、実際に各人が期待された役割を果たそうと振舞った。例えば、業界動向調査やデータ収集・インタビュー質問作成はCと私が中心になって担当したし、最終プレゼンテーションの骨格はBが作成した。また、Aはスポンサー企業とのコミュニケーションを中心になって担った。
しかし、チーム内での議論となると、話がかみ合わないことが度々あった。自動車業界、またはHEVシステムに関する理解度の差や、最終プレゼンにどのレベルものを盛り込むのかというビジョンの違いがあった。Cは技術の詳細なレベルにまで下りて議論をしたがったし、Bは技術の各論よりも、戦略レベルでの方向性を問題にしたかった。お互いが感情的になることもあったが、私はスポンサーのニーズに応えるためには両方の要素が必要だと考えていたので、なるべくいいとこ取りをしようと提案し、結局、背景知識として必要であれば技術的な詳細や将来的技術動向についても検討し、その上で戦略的な方向性を考えるというところに落ち着いた。

(問題の兆候を早く読み取る)
仕事が終わった後も一緒に飲みに行って話をしたり、我が家での食事会に招待したりと、仕事以外でもチームの一体感を醸成しようと当初から心配りはしていたつもりであった。しかしプロジェクト後半に入り、チームにかかるプレッシャーや作業量が増大してくると一つの問題が発生した。Aが突然ミーティングに来なくなったのである。4人中1人が欠けることの影響は大きいのでBは怒り心頭であったが、Cと私でなだめて、一度みんなで話を聞いてみようということになった。

いつものミーティングルームに呼んで話を聞いてみると、家族に関わる個人的な問題ということであったが、どうも問題はそれだけではなさそうで、途中から業界の話がよく理解できなかったり、チーム内の議論についていけなくなったことにも原因があるようだ。残された期間も少なくなってきたので、Aの分担作業や資料作成の負荷を減らして調整することにしたが、結局彼は最終プレゼン資料作成の際も締切までに担当分を作成してこなかったため、土壇場で他の三人で対応した(そうなる可能性は予見できたので準備はしていた)。最終プレゼンはなんとか4人そろってこなしたものの、チーム一丸となっての達成感、というところには至らない結末となってしまったことは残念であった。

振り返ってみると、出張時のインタビューの議事録を作成していなかったり、ミーティングに遅刻してきたりと、Aの変調にはいくつかの兆候があったように思われる。その時には就職活動とかで忙しいのだろうとあまり気に留めなかったが、もっと早い時点で対策を取っていれば、事態を改善できていたかもしれないと悔やまれる。

(ロジックと個人の尊重がコミュニケーションの鍵)
 今回一緒にプロジェクトに取り組んだ4人は国籍もバックグラウンドもばらばらであり、かつ上下の命令系統がなく4人が完全にフラットな位置付けであったため、意見の相違がある場合はとことん議論して解決策を見出すしかなった。その際のコミュニケーションの基礎となったのは、事実と推測を切り分け、ロジックに基づいて議論をするということと、厳しい状況でも最後までお互いを個人として尊重することを忘れない、という二点である。恥ずかしながら、これまで「外国人」と会話するときにはどこか不自然に構えてしまうところがあったが、このことが腑に落ちてからは、肩の力が抜けて自然体でいられるようになったと感じている。

とりあえずそんなところ。またなにか思い出したら追加します。

0 件のコメント:

コメントを投稿